
皇甫嵩ワングランプリ!

皇甫嵩将軍、三国志ですね。
しかし、皇甫嵩ワングランプリって、今まで一番語感のおさまりが悪いですね。

そりゃ祖茂ワングランプリの語感と比べたらね。
前に、かませ犬ばっかり取り上げてるって言ったでしょ?だから今回は名将を取り上げたのよ。

皇甫嵩将軍って名将なんですか?
黄巾と戦った官軍の人ですよね?なんかパッとしない印象ですけど。

皇甫嵩は名将よ!名将中の名将よ。

だって、同僚の朱儁将軍とか盧植先生とかはキャラ立ってたけど、皇甫嵩将軍って地味じゃないですか?

皇甫嵩将軍はいい人すぎるんだよ。

いい人ってイメージもないですけどね。朱儁将軍は嫌なイメージありますけど。

朱儁将軍にも触れたいところだけど、今回は皇甫嵩将軍です!

このたび最高の皇甫嵩将軍を決める皇甫嵩グランプリが開催!
全国津々浦々からさまざまな皇甫嵩将軍が集まってきました!

例によって、いろんな三国志漫画の皇甫嵩将軍を見ていこうってことですね。

いろんな三国志漫画の皇甫嵩将軍を見ていこうってことです!
三国志演義の皇甫嵩と正史の皇甫嵩

まず、予備知識として三国志演義と正史の皇甫嵩を見てみよう。
三国志演義の皇甫嵩
- 大将軍何進より朱儁・盧植とともに黄巾賊討伐の命を受ける
- 潁川で朱儁と黄巾賊の張宝・張梁連合軍を火攻めで破る
- 曹操を幕下に入れ、曲陽で張角の後を継いだ張梁に大勝、張梁を斬り殺す
- 車騎将軍・冀州の牧に、また盧植の冤罪をはらす
- 董卓殺害後、呂布や李粛ともに董卓の居城・郿塢城へ

皇甫嵩は盧植や朱儁とともに、何進から黄巾賊討伐の命を受ける。
盧植は黄巾党党首・天公将軍張角にあたった。一方、皇甫嵩は朱儁とともに張角の弟である地公将軍張宝と人公将軍張梁と対峙、これを火攻めで撃破した。

えっ!火攻めで勝ったのって!劉備じゃないの?

横山版『三国志』では、劉備の計略だったね。原作は、皇甫嵩将軍です。
そもそも横山版では、このとき皇甫嵩は出てこないね。朱儁だけ。

朱儁将軍、くそ嫌な奴でしたよね。

劉備たちのことを「食いつめ者の乞食部隊」って言ってたからね。
しかも、面と向かって。

張梁は皇甫嵩将軍に倒されてたんですね。
張梁が張角の後を継いだってことは、総大将を皇甫嵩将軍が倒したってことじゃないですか!

そうよ。ただ横山版『三国志』では、そこはカット。
皇甫嵩が張梁に勝利したことが伝令の口から伝えられたのみ。

そもそも対張角は盧植が担当していた。けど、冤罪着せられ董卓に交代。董卓が負け続けたため皇甫嵩がかわったと。
そのときには張角が病死していたので、張梁が後をついだ。ちなみに、張梁が皇甫嵩に斬られたあと、張角も墓を暴かれ首を斬られてる。

そういえば、盧植先生は檻に入れられてましたよね。あれって盧植先生がチンポコなしの宦官に賄賂を要求されて断ったからですよね。あれはムカついたなあ。
でも皇甫嵩将軍が盧植先生の冤罪をはらしてたんですね!
めっちゃ仲間思い!

そこも横山版『三国志』では描かれてないからね。
その後の盧植は、何進の董卓招聘に反対したり、董卓の少帝廃立に反対したりと相も変わらずの気骨っぷりを見せてるよ。

さすが盧植先生!

ちなみに、皇甫嵩も盧植の無念を晴らした後、宦官・十常時らの賄賂の要求を拒否したため罷免されてます。

ホント十常寺たちは糞野郎どもですね!10人いてもチンポコ0本ですからね!

そりゃそうだ。

最後、皇甫嵩将軍は郿塢城で何してたんですか?
てか、呂布たちが董卓を殺したときにいたんですね。

あまり目立ってないけど、王允・呂布側にいたみたい。
皇甫嵩はこのとき、郿塢城に囲われていた良家子女を解放している。
その後の三国志演義には登場していない。

最後までいい人ですね。

三国志演義の皇甫嵩は非の打ち所がないね。

そっか、これ演義か。じゃあ正史だと違う一面が出てくる可能性があるのか。
なんか怖いなあ。

では、次に正史の皇甫嵩をみてみようか。

正史の皇甫嵩

皇甫嵩は陳寿の『三国志』ではなく『後漢書』に列伝がある。『後漢書』の列伝の編纂者は、南朝末の范曄だ。

頼むよ、范曄!皇甫嵩将軍を悪く書かないでよ!

忖度はしてないと思うよ。
見てみようか。
働いたら負け
- 字は、義真。涼州安定郡の出身。若い時から文武に優れ、詩書を好み、弓馬を習っていた。
- 孝廉、茂才に挙げられるも辞退

孝廉や茂才は、超ざっくり言うと、国家公務員一種の科目みたいなもんだ。それより倍率高いかもしれない。
地方の有力者が科目別に優秀な人を推薦していた。

中学の時もひっそりと推薦もらって受験勉強してない子いましたね。
あれうらやましたかったなあ。

そういう子は日頃からちゃんと勉強してるからね。
ていうか、そんな小さな話じゃないし!

でも、それを辞退しちゃったんですよね。
もったいないなあ。
働いたら負けって思ってたのかな。

ニートの時期もあったかもしれない。
ただ、皇甫嵩は優秀だったからね。

ニートはそう思うんですよ。僕もそう思ってましたし。
やればできるって。

まぁ、やればできるって思うのは大事だよ。実際そうだと思う。
この皇甫嵩もやったらできた。てか、できすぎた。

黄巾の乱が勃発してからの皇甫嵩の活動をみてみよう。
黄巾討伐で大功を立てる
- 党錮の禁で弾圧されていた清流派士大夫の解放と、銭と軍馬の提供を具申し、霊帝に認めさせた。
- 朱儁を破った潁川黄巾党の波才に長社で包囲されるも、火攻めで波才軍を奔走させ、朱儁・曹操軍と合流し、これを大破した。
- 東郡黄巾党の卜己を破る。卜己を生け捕り、七千の首級を挙げる。
- 広宗で張角の弟・張梁を討ち三万の首級を挙げる。張角の墓を暴きその首を都に送る。
- 曲陽で張角の弟・張宝を討ち十万以上の首級を挙げる。

めちゃくちゃ強いじゃないですか!
張角三兄弟みんな皇甫嵩将軍にやられてるし!

演義より強いね。
しかも、事前に清流派士大夫の解放を行って、彼らの黄巾党への合流を防いでいるのも素晴らしい。

武力だけではないんですね。

党錮の禁では、大尉陳蕃と大将軍竇武が宦官に殺されている。皇甫嵩が孝廉、茂才に挙げられたときに、皇甫嵩を招聘しようとしていたのもこの二人だった。
党錮の禁の解放は、もしかしたら二人の名誉回復の意味もあったかもしれないね。

そこも気になりますよ。
皇甫嵩将軍は正史でもいい人なんですかね?

その点もみてみよう。
ただの聖人
- 黄巾の乱鎮圧の功で、冀州の牧に就任。冀州では、善政を施し兵にも情をもっていたので、多くの信望を集めた。
- 宦官・左豊の賄賂の要求を拒否して冤罪を着せられた盧植の功を称え復職させた。
- 閻忠が兵をあげて帝位につくよう勧めるも拒否。
- 宦官・趙忠の邸宅の法令違反を訴える。また、宦官・張譲の賄賂の要求を断る。
- 情深く勤勉であり、有益な上表を五百以上も行った。その草稿は破り捨てて、外に流出させていない。

ただの聖人ですね。

正史の皇甫嵩も非の打ち所がないね。

よかったあ。范曄がよく書いてくれてましたね。

ちなみに、范曄は皇甫嵩をこう評してる。
而捨格天之大業,蹈匹夫之小諒,卒狼狽虎口,為智士笑

なんだって?

小さいことを重視して大業を捨てたから智者に笑われた、みたいな。

なんだよ!范曄!
すごい嫌なこと言うし!

野望とかがなかったのかもね。
あと、ある男の影響も大きくあったと思う。そいつが、皇甫嵩の人生に翳りをもたらしたのは間違いない。

えっ、誰ですかそいつは?

董卓、字は仲頴。

出た!董卓!こいつがいたか。

皇甫嵩も董卓と同じの涼州出身だ。
二人とも生年は不明だけど、同じ184年に中郎将に任命され、黄巾党討伐の任についている。
董卓は盧植の後任なので、少し後だと思うけど。

もしかしたら、同世代のライバルかもしれないんですね。

同世代の可能性はあるね。
ただ決して好敵手ではない。董卓が皇甫嵩に抱いていた感情は、もっと複雑に淀んだものだった。
皇甫嵩と董卓
- 董卓が盧植の後任として黄巾討伐の任に就くも敗退して免職、交代した皇甫嵩が張梁を討ち大功をたてる。
- 辺章・韓遂が反乱を起こす。皇甫嵩と董卓が討伐に向かう。皇甫嵩、宦官の賄賂要求を拒否して罷免。董卓は後任の張温の下につく。
- 皇甫嵩が賊徒の王国の討伐に赴く。董卓はその指揮下につく。董卓は作戦を進言するも皇甫嵩は却下、進言とは逆の作戦をとることで大勝する。董卓逆恨み。
- 王国討伐直後、董卓に并州牧就任の命がおり、軍権を皇甫嵩に渡すよう指示が下される。董卓、拒否。皇甫嵩、朝廷に上書。それを知った董卓はますます憎悪を募らせる。
- 董卓政権奪取、皇甫嵩を召喚。皇甫嵩、部下から止められるも応じ、逮捕投獄される。

ドッロドロですね。

董卓が黄巾に負けて罷免されたとき、演義では宦官の十常寺に賄賂を贈って罪から逃れたとされてるね。

いや~、実際にも賄賂送ってたでしょ!
だって、皇甫嵩将軍は賄賂拒否して罷免されてんですから。

当時、このあたりも知れ渡って、みんなに比較されてたのかもね。

皇甫嵩将軍が董卓とは逆の作戦で大勝したところは相当効いたんでしょうね。
ああいうのって、無駄にプライドが高い人にとっては屈辱なんだろうなあ。

董卓が軍権を拒否したとき、皇甫嵩の従子・皇甫酈が董卓誅殺を進言してるんだよ。でも、皇甫嵩はそれを避けて上書した。
皇甫嵩にもいろいろな思いがあったと思うよ。でも、董卓には届かず。一層恨まれることに。

ここで董卓をヤっておけば、後の大惨事は起きなかったんですね。

そのあたりが、范曄の指摘するところなんだろうね。
曹操なら斬ってただろうし。

そこが皇甫嵩将軍のいいところなんですよ。
で、皇甫嵩将軍はどうなったんですか?つかまっちゃいましたよね。

死刑になりそうだったけど、息子の皇甫堅寿が必死に嘆願して赦された。この子は董卓と仲が良かったらしい。

えぇ~、なんか意外。

董卓は皇甫嵩を殺すことよりもひれ伏させたかったんだろうね。
董卓が長安に遷都した際、公卿百官に拝礼をとらせた。
そのとき董卓は皇甫嵩にこう言った。
「義真はまだか?」。
すると、皇甫嵩は笑いながら拝礼をとり、董卓は満足したという。

董卓はずっと皇甫嵩将軍に勝ちたかったんですね。

恨み以外の感情を持っていたと思うよ。
この二年後、董卓は誅殺されるわけだけど、それまで皇甫嵩の身には何も起きていない。
一方、韓遂の乱のときの上司、張温は董卓に殺されてる。

張温はシンプルに嫌いだったんですね。

皇甫嵩の武才は間違いないからね。范曄もその武功は称えた。
董卓も黄巾で敗戦したとはいえ、并州や涼州で百を超えるほど戦を経験した武人。皇甫嵩に対して尊敬の念を持っていてもおかしくはないね。

可愛さ余って憎さ百倍、ツンデレだ。

皇甫嵩は、唐時代に『武廟六十四将』の一人に選出されている。
次回に続く
mangeman
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